ちょっと考えさせられたこと

倫理の授業で先生がEVAの話をした。人間の価値・生きる意志の話の時に出たのでそういう意味ではわかりやすい例だと自分は思った。
だがやはりそういう時に先生はこう聞くのだ?
「EVAを知っている人手を挙げて」と
EVAといえば、自分の世代ではかなり流行って今でもかなりの影響を持っているのはこれを読んでいる方にはわかっていただいていると思う。*1
手を挙げてと言われて周りにいた生徒たちの半分以上は手を挙げていたと思う。*2一応自分もまっすぐに伸ばすのはできなかったが手を挙げた。
ところがどうだろう。隣を見ると自分の友人が手を挙げていないのに気付いた。むしろ固まっているという表現が合うだろう。
私はここには存在してませんよ
と言わんばかりの膠着具合だった。
自分の友人はロボットアニメ好きなのでEVAを見ていないはずはない!というより普段の会話でEVAネタをやってもわかっている人間なのでどちらにしろ手を挙げても問題ない人間である。
そんな友人だが、隠れオタになりたいと常々言っているのを知っているので、その光景を見て笑った。
ここは突っ込むべき場所だろうなと思い、自分は筆談をしようと紙に
「なんで挙げないの?」
と書いて渡した。すると友人は、
「見たことないからわからない」
などと返してきた。
もう自分の中で祭り状態でした。もちろん授業中なので声を出して笑ってなどいませんが、心の中ではこんな感じでした→げらげら o(^▽^)o げらげら
手を挙げたところで、別に誰も気にしていないと思っている自分としては、友人の行動はただの幼稚なわがままにしか見えなかったのです。
しかし、ふと思いました。この場合自分はまわりが手を挙げている様子を確認してからやっていること自体がすでに逃げであって。友人に言う資格などないということを。
 
友人は確かに嘘をついたでしょう。でも手を挙げたという自分の判断が決して正しいことではない。それで友人を非難することができないのではないか、と考えたとき彼の行動もあながち間違ったことではないと思えました。
そう、あの場には、手を挙げる自由・手を挙げない自由がありました。友人は手を挙げない自由を選んだだけだったのです。
その場の雰囲気を読む。これは非常に大切なことです。*3だが、自分と違う行動をしたからといってそれが雰囲気が読めていない行動だったと自分の主観で思うことが他人を理解できない障害になりえるのではないかと思ったのです。
 
…小学生の読書感想文並の文章orz

*1:自分は当時は見向きもせず。まともに見たのは高校に入ってからだったが

*2:なんたって前にいた非オタと思われる人間があげていたのだから間違いないw

*3:自分は人間関係はこれが全てだとも思っている