機動戦士ガンダムSEED DESTINY 40話 リフレイン

リフレインの自体で総集編決定か?
アスランの視点でこの作品を語る。アスラン=正義という位置づけをしているというのが自分の見解なのでその点から見てみる。
アスランが言う真実やそのその他の台詞が宗教団体に騙された人間の言い訳に聞こえるのがむしろ間違いないことが前半部分の肝。自分の思っている正義なんてちょっとしたことですぐに切り替わる。ここでアスランを批判するのは簡単だが、自らが実はすでにこうなっていることを自覚してからがベストだろう。
後半は今度はキラの視点から。今度はキラ=自由という位置づけ。
キラの言うことが心地よく聞こえた人間がどれほどいただろうか。意外といたんじゃないかと思う。今度は正しいことを考え続けてそれで結果として答えを出そうとする。聞いていて心地よく、まさに左翼エネルギーに溢れているとも言える。ただ時流でないだけだ。
ところで、面白いのがシンの位置づけである。主人公であって主人公でないというこの素晴らしいスルーっぷり。こういう話もあっていいのではないかとすら思う。
さてそんなことより、彼の位置づけは単純化できないところが面白い。始めは恨みの象徴として現在世界におけるテロリストの心情を表していると思ったのだが、恨みの対象となるものを次々と倒したにも関わらずその勢いが止まらない暴走の象徴となっている。その暴走が演出されているものだというのがマスコミに洗脳される人間を表している。
ここまで書いてシンの立ち位置を考えるとすると「一般人」だと結論づけられる。抗うことを知らず。ただ、時流に流され、洗脳され続けるという意味で「一般人」なのである。
一言だけ断っておくと、まるでシンが悪者のごとく演出されここで書かれているのだが実際にはこれが多くの人間であるということ。自らの価値観を自らで100%構築できないというのは事実であって、シンがそれをfictionということで強調されているだけなのである。