D.C.S.S. 4桜並木の向こうに

眞子の「アイシア」の一言が嫉妬の表現をしているのは明白として、それは自分が純一を取れないことなのか、それとも音夢がいるのになにうつつを抜かしているのかと思っているのか結論付けられない。見解としては両方。ちなみにこの状況友人曰く「音夢化している」とのこと。なかなか的を得ていると思う。
アイシアの行動が異文化の人間が持つ無知と異文化との生活の違いを浮き彫りにしているという点があると思われる。ここでは魔法としているが、実際にはその土地の者にとっては外国語が話せるとか、姿かたちが違うとかがそれを表現することになる。
また、それの対比として胡ノ宮環が巫女服を着てお払いをいきなり始めるというのも異文化を表現しているといえる。実際お払いを始めるといっていきなり巫女に変身することは不可能であり、それが変身したあと拍手が沸き起こっていることからそれが周りのギャラリーにとっては異文化であることを象徴している。その後その巫女としての活躍をしなかったのがキャラ立ちとしてはやや足りないというべきか。