政治学14

3-1-3左翼における「社会主義」の定着

そもそも「社会民主主義」とは何か?
似た言葉として社会主義という言葉がある。なお社会主義とはカール・マルクス提唱の革命によって政府を倒し私有財産を公有財産にするということである。
しかし、マルクスのころとは違い。普通選挙によってブルジョワジーがある程度議席を確保できるようになると、革命をしなくても自分たちの意見を政治に反映することはできるのではないだろうかという意見が出てくる。これが社会民主主義
だからといって皆がそう思っていたわけではなく、革命をするべきだという人も当然いて態度決定がなかなか行われなかった。
例え
ドイツ革命時、ローザ・ルクセンブルク率いるスパルタクス団がロシアのような共産主義革命をしようとしたのだが、社会民主党は民主主義だけでいいとして保守と組み弾圧を行った。しかし、1925年の綱領において「革命を目指す」といわれているあたりにこの態度決定がいかに行われたかったかということがわかる。

また社会民主主義を高めた例も存在する。
スウェーデン社会民主労働党である。1932年から政権を担当したのだが、その当時は世界恐慌真っ最中、しかし、不況の常識と正反対を行って不況を脱する。
当時は、緊縮財政によるデフレ政策が不況の対策方法だったのだが、スウェーデンは逆のケインズ的経済政策を行った。その結果として1933年には18万人いた失業者が1936年には2万人まで減少させることに成功。それによって勝ち取った信頼によって1932年〜1976年まで政権を担当する。
そのような例もあるがほとんどの国では態度は戦後になっても悩み続けていた。

西ドイツの社会民主党は戦後政権をとられたときに野党主義で行くということを決定する。しかし、国民の支持は向かず与党との差が開かれた。
さらに戦後の経済成長によって機械化が進み労働者が減ってサービス業の人が増えた。工場労働者に対しては組織していたのだが、サービス業に関して組織があまりできていなかったがために地盤の減少が起こる。ここにきてついに現実路線をとることを決定する。
1959バード・ゴーデスブルク綱領

  • 「革命」の放棄

まずここで社会主義とはっきり区別をつける

  1. 「可能な限り競争を、必要な限り計画を」

民主主義を認める。

  1. 「経済力の集中に関しては、例え国家に対してでも認めない」

民間の独占だけでなく計画経済の否定

  1. 武装防衛の容認

左翼系には奇妙な論理があり。共産主義武装はいい武装。資本主義の武装は悪い武装という論理があるのだがそれの否定。(これが日本だと自衛隊の否定になるわけと思う、あとソ連の核は良い核というのもどこかで聞いたな)
「釈迦移民sひゅうと右派、労働者階級の政党から、国民の政党へと生まれ変わった」
階級政党から国民政党

このようなレジームチェンジが各国で起こり、1960年代には政権を担当する政党が増えることになる。社会民主党の巻き返しとも言われる。また政策ひに変化が起こり、右翼、左翼療法で極端な政党がいなくなる。左翼だと共産党、右翼だとファシスト。そのため戦前より対立の幅がせまくなり、戦後政治は安定したスタートとなった。